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12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1973-02-27 第71回国会 衆議院 予算委員会 第17号

帰国の望みも断たれたまま、収容所生活はすさむ。二十年の暮れ、」戦争に負けた年です。「事件が起った。佐藤さんの話によると、同中隊A准佐を」准佐というのはこれは一番悪いのです。ちょうど齋藤君みたいなものなんです。このA准佐——准佐ではありません、准尉ですが、「同中隊A准尉を兵隊四十数人が集団でなぐり、軽傷を負わせたのだ。収容所生活は苦しい。食糧が乏しかった。

小林進

1960-04-27 第34回国会 衆議院 農林水産委員会 第26号

現在刑務所で刑を終えて収容所に入った者が二十八名か九名おると思いますが、その人たちはただ警官の言うがままになっておるのであろう、そういう人たちはおそらく収容所生活はできぬのじゃないかという考えを私どもはしておるわけです。警官の数としましては、入った当時は四十名くらいが二十名くらいずつ一昼夜交代でやっておりました。デモ後は約八十名で倍になったわけです。

杉山実

1957-08-12 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会海外同胞引揚に関する小委員会 第1号

もちろん私たち収容所生活にあった者の中には、戦犯者の方や、われわれのような満刑になって、地方へ居住地を指定されておる者等、種々の人たち生活しております。それが昭和二十九年の四月十七日に私たちのところから最後の引き揚げがありまして、その後現在に至るまで一回も引き揚げ問題がなかったのであります。

川岸浩

1956-08-29 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第18号

従いまして、集結当時の日本人は、いつかは必ず帰れる日がくると思うから、それまでの間はがまんをしてお互いに仲よく、弱い者は強い者が助け、若い人は年寄りを助けて、お互いに仲よく時のくるまで待とうという気持を持って五〇年初期における受刑者収容所生活が発足いたしました。  このようにしまして自後年月を経過しました。

瀬島龍三

1955-12-08 第23回国会 衆議院 法務委員会 第3号

この二つの面から見まして、法的に根拠を持って収容されておるものでありますが、あまりにも長く収容所生活を継続せしめるということは、人権上の問題から検討の要があると思います。これを将来どうさばいていくか。端的に申しますと、今局長が言われたように、韓国側が引き取ってくれないとしますと、だんだんたまるばかりでありまして、どこにもはけ口がないというような問題が起きます。この問題をどう処理していくか。

三田村武夫

1953-12-04 第18回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

昭和二十五年春以来中絶しておりましたソ連地区残留同胞引揚げが三年ぶりに行われ、去る十二月一日午前七時に引揚船興安丸無事舞鶴に到着いたし、シベリヤにて苦難の収容所生活を送つて来られた同胞八百十一名を目のあたり迎え得ましたことは、まことに御同慶に堪えないところであります。  

高橋等

1952-04-22 第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第12号

今のような状況の中で、那覇と首里とのまん中のところに真和志村というところがございますが、真和志村の人々は、米軍がここに上陸しまして、ずつと押して来るこの間に、住民は一緒に押されてこちらに来ておりましたわけで、この付近の帰没した真和志村の人は、この村のここのところに集結しておつたわけでありますが、この収容所生活の間に、願いを出しまして遺骨收集を初めまして、有名なひめゆりの塔とか、健兒の塔とか、魂醜の塔

松木秀満

1950-04-05 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第19号

一九四八年の六月か七月ごろソ連政治部の将校、本部の方から少佐の人が来て、お前は一体、民主運動をやるつもりかと言われました際、私は民主主義者ではないと断言しておきましたけれども、向うの日本人の間の民主運動に対して肯定的であるか否定的であるかと言われれば、やはり収容所生活の危機を脱する一つの方法として、それはやはり肯定しておりました。

菅季治

1950-03-31 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第12号

次いで結局樺林というところに出て来ましたが、樺林ソ連につかまつて、牡丹江収容所生活をしたのであります。この収容所生活についてもお話したいと思います。収容所はその当時ソ連の管理になつておりました。しかしながら、収容所内におきましては、日本の軍隊そのままでありました。

山上三郎

1949-05-22 第5回国会 参議院 本会議 第31号

元々収容所生活では、生き長らえて帰國するということが最大の念願でありますることは申すまでもないところで、從いまして各人のこの焦燥感による不安定なる精神状態と、非民主的、軍隊的因習に基く集團生活、加うるに給養の粗惡、寒冷、不衞生のため、当初の死亡率は相当に高かつたのでありまするが、收容所秩序改善に伴い、死亡率は低下し、現在は死についての憂慮は特にないと考えられるに至つておるのであります。

紅露みつ

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